人生の大きな糧となる経験
築古戸建再生と聞くと、大きく分けて二つあると思います。
- 実家や親戚の家など、身内の空き家を再生するケース
- 自ら購入した、いわゆる他人の空き家を再生するケース
私は、どちらも経験しました。
だからこそ、「父の実家だったからできたこと」が見えてきました。
父の実家というと、かなり古い家を想像されるかもしれません。
実は一度火災で全焼しており、現在の家は親族一同が大工だったこともあり、有り合わせの材料で建て直したものです。築年数も約25年ほどでした。
そのため、祖父母との思い出の品はほとんど残っていません。
火災ですべて燃えてしまったからです。
それでも、不思議なことがありました。
70年近く前に亡くなった父の妹さんの写真だけは残っていました。
さらに、仏壇をしまうために繰出位牌(くりだしいはい)を確認すると、母も私も知らなかった父の弟さんの記録がありました。
父はあえて話さなかったようで、この時初めてその存在を知りました。
祖父母の家には、2年に一度お盆に家族で帰省していました。
だから大切にしたいという気持ちはもともとありました。
でも、蜘蛛の巣だらけになったお仏壇を見た瞬間、その気持ちは変わりました。
本来そこにいるはずだった祖母と叔父は、もういません。
誰も手を合わせる人がいなくなったお仏壇だけが、静かに残されていました。
その光景が本当に寂しくて、
「何とかしたい。できるのは私しかいない。」
そう思ったことが、空き家を再生しようと強く決意したきっかけでした。
一方で、思い出の品がほとんど残っていなかったことは、作業を進めるうえでは大きかったと思います。
唯一困ったのは、祖父母が飾っていた20歳頃の私の写真です。
私は初孫だったこともあり、火災で全て燃えてしまったので「写真を送ってほしい」と言われて送ったものです。
作業を始めるたびに自分と目が合うので、
まず最初に、自分の写真を撤去しました(笑)
父の実家だからこそ経験したことは、まだあります。
二階には叔父の部屋がありました。
子どもの頃は入ることのなかった部屋です。
初めて入ったその部屋には、ベッドと衣類がある以外、驚くほど何もありませんでした。
でも、その空間に立っていること自体が、とても不思議な感覚でした。
その人が暮らしていた時間だけが、そのまま止まっているようでした。
もう一つ、大きな違いがありました。
この地域は人口減少が進む地域ですが、ご近所さんは全員親戚です。
私は大人になってから親戚と深く関わる機会はほとんどありませんでした。
それでも皆さんは私のことを知っていて、父や叔父が手を付けられなかった家を、一人で片道700kmかけて直しに来ていることを知ると、本当に温かく協力してくださいました。
作業中に話しかけられ、一度話し始めるとなかなか戻れないこともありました(笑)
それも今では良い思い出です。
ただ、方言がとても強く、行政の方を含めて会話は三割くらいしか聞き取れませんでした。
それも含めて、地方の空き家再生らしい経験だったと思います。
父の実家だったからこそ、何としても修繕を終えたいという気持ちがありました。
そして、父が元気で判断できる今だからこそ、家族として動くことができました。
もし数年後だったら、手続きも判断ももっと難しくなっていたかもしれません。
そう考えると、本当に「今しかない」タイミングだったと思います。
そして現在、この家には新婚さんが暮らしています。
祖母と叔父が暮らした家は、その役目を終えたわけではありませんでした。
少し手を加えることで、新しい家族の新しい生活が始まっています。
それが本当に嬉しく、感無量です。
今回の空き家再生では、DIYだけではなく、
相続、借地、未登記、行政とのやり取り、家族との意見の違い、地域とのつながりなど、本当に多くのことを学びました。
一軒の空き家を再生することは、単に建物を直すことではありません。
その家にあった人生や歴史を受け止め、新しい暮らしへつないでいくことなのだと、この家が教えてくれました。
この経験は、今の私の空き家再生の原点です。
そしてこれからも、一軒でも多くの空き家が、新しいご家族の笑顔につながることを願いながら、一棟一棟丁寧に再生していきたいと思っています。