人生初の残地物撤去
飛行機で通う遠方物件でした
父の実家で残置物撤去をしていた頃、近所のおばあちゃんがよく手伝いに来てくれました。
時には、私がいない間に一人でゴミをまとめてくれていたこともあります。
さすがにそこまでしてもらうのは申し訳なかったのですが、手作りのお弁当を差し入れてくれたり、作業を手伝ってくれたり、本当にありがたい存在でした。
そして、このおばあちゃんがとにかく逞しい。
そもそも、この父の実家が私にとって人生初の残置物撤去でした。
それまで、大量の家財道具が残された家を片付けた経験なんて一度もありません。
しかも初挑戦の場所は、自宅から気軽に通える距離ではなく、飛行機で通う北東北。
今思えば、なぜそんな難易度の高いところから始めたのだろうと思います。
当然、大きな家具をどう処分すればいいのかも知りませんでした。
巨大な食器棚を前に途方に暮れる
ある日、一人で残置物を片付けていると、大きな食器棚の搬出で手が止まりました。
横幅は約2m、高さは約1.5m。
中に入っていた食器はすべて取り出したものの、大きいうえにガラス戸まで付いています。
「さて、これをどうやって外に出すんだろう……」
完全に途方に暮れていました。
そこへ現れたのが、近所のおばあちゃんです。
食器棚を見ると、手際よくガラス戸を外していきます。
引き戸式のガラスは、両端を持って上に持ち上げると外すことができます。建付けの歪みなどでうまく外れない場合も、位置を変えながら持ち上げることで外れることがあります。
それまでそんなことすら知らなかった私は、
「えっ、こんな簡単に外れるの?」
とびっくり。
さらに、一見すると巨大な食器棚も、よく見ると上下で分かれる構造になっていました。
ガラスや棚板など外せるものを外し、上下に分割してみると、最初に見たときの「こんなの運べるわけがない」という印象とはまったく違います。
おばあちゃんと一緒に、無事に搬出することができました。
大きな家具は、そのまま運ばなくていい
このとき初めて私は、大きな家具はそのまま運ばなくてもいいということを知りました。
考えてみれば当たり前なのですが、残置物撤去そのものが初めてだった私には、家具を「分解する」「解体する」という発想自体がありませんでした。
それ以降、大きな家具を見ると、まず「どうやって運ぶか」ではなく、
「どこが外れる?」
「上下に分かれない?」
「もっと小さくできない?」
と、構造を見るようになりました。
外せるものを外せば軽くなる。
分割できるものは分割する。
処分する家具なら、必要に応じてさらに小さくする。
これを知っているだけで、一人でできることがずいぶん増えました。
田舎のおばあちゃんは逞しい
ちなみに、このおばあちゃん。
「解体すれば何でも捨てられる」という感覚だったようで、なんと洗濯機まで自分で解体したことがあるそうです。
後から地元の人にこの話をすると、
「あのおばあちゃんは特別だから」
と言われました。
やっぱり普通じゃなかったようです。
※洗濯機は家電リサイクル法の対象です。処分する際は、家電リサイクル法に沿った方法で処分する必要があります。
父の実家の片付けでは、業者さんだけではなく、近所の人たちから教えてもらったこともたくさんありました。
人生初の残置物撤去。
しかも、飛行機で通わなければならない遠方の家。
最初は本当に何も分からない状態でした。
それでも、目の前のものを一つずつ片付けながら、人に教えてもらいながら、少しずつできることが増えていきました。
今では当たり前のようにやっている「大きな家具は、まず構造を見る」ということも、始まりはあの大きな食器棚でした。
何も知らなかったからこそ、一つできるようになるたびに面白かった。
振り返ってみると、父の実家は私にとって、残置物撤去や築古戸建再生を一から覚えていった場所でもあったのだと思います。