築古戸建再生で変わった価値観|残置物を見て気づいた「ものを持つ」ということ
築古戸建再生を何件も経験するうちに、私の中で大きく変わった価値観があります。
それは、
ものを所有することに対する考え方です。
自分の物件だけでなく、友人や大家仲間の物件の作業を手伝うこともあります。
そんなとき、最初にやることが多いのが残置物の撤去です。
築古戸建では、相続した家を残置物が残った状態のまま購入することも珍しくありません。
実際に家の中へ入り、一つずつ片付けていると、そこで暮らしていた人たちの生活がいろいろなところから見えてきます。
昔の家から感じる「豊かさ」
これまで見てきた家の中には、とても立派な造りのものがありました。
築年数は経過していても、クロスの柄合わせが驚くほどきれいだったり、天井にシャンデリアがついていたり。
外から見ると普通の木造戸建なのに、中に入ってみると、
「昔の家って、こんなに凝っていたんだ」
と驚くことがあります。
残されているものもさまざまです。
立派な装飾品。
着物。
年代物のお酒。
大量のレコード。
そこには家族がいて、子どもが育ち、長い時間をかけて暮らしがつくられてきたことが分かります。
でも、やがて住んでいた人が高齢になり、誰も住まなくなる。
必要なものや価値のあるものだけが持ち出され、家が売却される。
そして、その残された家の中に今度は私たちが立っています。
そんな経験を何度もするうちに、私自身の価値観も少しずつ変わっていきました。
ものは、持ち主がいなくなると行き場を失う
以前の私は、今よりも
「これが欲しい」
「あれも欲しい」
と思うことが多かったように思います。
でも築古戸建再生で大量の残置物を目の前にしていると、考えてしまいます。
どれだけ大切に集めたものでも、
持ち主がいなくなったとき、その多くは行き場を失ってしまう。
もちろん、買取業者に引き取られたり、誰かに譲られたりして、次の持ち主のところで使われるものもあります。
でも、すべてのものについて次の持ち主を探すのは現実的には難しい。
私たち築古戸建大家の場合は、
家を片付ける。
修繕する。
そして、できるだけ早く次の入居者さんが住める状態にする。
それがまず目的になります。
何軒もの家で、その現実を見てきました。
大量の残置物を前にすると、ものを処分する大変さを実感します。特に大きな家具は、そのままでは家から運び出せないこともありました。実際に巨大な家具を分解して撤去した方法は、「築古戸建の残置物撤去|巨大な家具は「分解」すれば運び出せる」で紹介しています。
「いつか使う」ではなく、今使う
築古戸建再生を通して思うようになったのが、
「シンプルな生活って、実は豊かなのかもしれない」
ということでした。
もちろん、好きなものは買えばいいと思います。
私も買います。
ただ、あれもこれも所有することより、私は少しずつ「時間」の方に重きを置くようになりました。
今楽しめること。
今やりたいこと。
今だからできること。
できるときに、できるだけやっておきたい。
ものが少なければ、管理も整理も掃除も楽になります。
収納するためだけの場所も、それほど必要ありません。
そして以前ほど新しいものを欲しいと思わなくなった代わりに、すでに持っているものを積極的に使うようになりました。
「いつか使おう」
「大切だから取っておこう」
そう思ってしまい込んでいたものも、どんどん出しています。
20年間しまっていたミニカー
その一つが、箱に入れて大切に保管していたミニカーでした。
20年ほど経って箱を開けてみると、中のミニカーはきれいでした。
でも、パッケージにはカビがつき、ほこりもたまっていました。
大切にしているつもりで、ずっと暗いところにしまい込んでいたんです。
それを見たとき、
「せっかくだったら、もっと早く出して、長い間見えるところに飾ってあげればよかったな」
と思いました。
大切にすることと、使わずにしまっておくことは、同じではないのかもしれません。
自分の宝物なら、自分が生きているうちに、自分の目に触れるところに置く。
使えるものなら使う。
そして、自分の心を豊かにしてもらう。
今はそんなふうに考えています。
築古戸建再生で変わったのは、家だけではなかった
築古戸建再生というと、
古い家を直す。
きれいにする。
そして、もう一度誰かに住んでもらう。
そんな仕事だと思っていました。
でも、何軒もの家と、そこで暮らしていた人たちの痕跡に触れてきて、変わったのは家だけではありませんでした。
私自身の暮らし方や、ものとの付き合い方も変わりました。
たくさん持っていることだけが豊かさではない。
大切なものは、しまい込むのではなく今楽しむ。
そして、ものだけではなく、
自分が使える時間も大切にする。
築古戸建再生を始めなければ、こんなことを考えることもなかったかもしれません。
家を再生していたつもりが、いつの間にか自分の暮らし方まで変わっていました。